*

Diary

2012年8月

人と人とをつなぐもの

ぴたぱん通信をご覧の皆さん、こんにちは。団員の大野です。
8月も終わりだというのにセミは鳴き、汗が滴る、蒸し暑い日が続いております。

最近は大学院の研究などで忙しく、久しく舞台にがっつりと関われてはおりませんが、
小生元気に毎日を過ごしております。

さて、私の研究分野が英語コミュニケーション能力に関するものなので、
今日はその「コミュニケーション」について書いてみたいと思います。
「コミュニケーション能力」、などと巷で言われはじめてから大分経ちますが、コミュニケーションとは一体何なのでしょう。

コミュニケーションの第一義的な目的として、「情報の伝達」があります。
生物(含人間)は古来より、声や音を出したり身振り手振りなどをしたりして情報を伝達していました。
根源には生きるため、食べるための情報、例えば捕食者に気をつけろ、だとか獲物がいるぞ、だとか、
いわば「生」に直結する情報をやりとりすることが目的としてありました。
例えばある種のトリは、鳴き声の高低で情報のやりとりをしたり、ハチの一種はその飛び方を変えることで
蜂蜜がある正確な距離と方向を表現したりしています。
これは大変原始的なコミュニケーションの目的です。

では、それ以外にコミュニケーションをする目的は何だろうかと考えると、浮かび上がってくるものが
「感情の伝達・共有」です。人間以外にもいくつかの生物は感情や思考を持ち合わせていると言われています。
例えば像は仲間が死ぬと死骸を弔います。
またゴリラはヒトが教えた手話を使って簡単なコミュニケーションをとることができました。
ゴリラは「死」という概念について理解しており、死ぬ時期を聞かれると「年をとり、病気で死ぬ」と答え、
そして、死んだゴリラが行く先を「苦労のない 穴へ さようなら」と表現することができたという記録があります。

この感情というかたちのないものを五感、あるいは第六感まで総動員して互いが互いのことを知るという
ことを、実は人間以外の生物も行なっているのです。興味深いですね。

ところで、演劇もコミュニケーションの一つだと私は考えます。
コミュニケーションがコミュニケーションたる条件として、語り手と聞き手の存在があります。
そして、情報であれ感情であれ伝達・共有するに足る「何か」を、お互いの能力を使って紡いでいきます。

表現する側はセリフであったり、動きであったり、舞台であったり、音であったり、光であったり、あらゆる
媒介を用いて聞き手に伝えるアプローチをします。そして、聞き手はそれらの与えられた情報から「物語」を
解釈していきます。もうコミュニケーションそのまんまですね。

受け取る側のお客様次第で、その物語は如何様にも変わることがある、ということもまた、
演劇の面白いところだと思います。このコミュニケーションの駆け引きは表現する側でも受け取る側でも
とても楽しいことだと思います。

そのようなわくわくする気持ちであったり、楽しい気持ちであったり、時には悲しい気持ちであったりを
受け取る側のお客様は笑ったり、泣いたり、驚いたり…といった様々な反応でまた、表現する側の我々にお返ししていただけます。
そこに人が存在する限り、コミュニケーションは生まれるのです。

10月27,28日で皆様と舞台でお会いできる日を、心待ちにしております。
そして是非、舞台で「コミュニケーション」しようではありませんか。

大野 仁寛

うまく言えない人のための世界

ぴたぱん通信をご覧のみなさん、こんにちは!
団員の中畑です。
久しぶりにぴたぱん通信を任されて、ちょっと緊張しちゃってます。
使わない筋肉が衰えるように、他人に向けた言葉も常に発していないと声がうまく出なくなってしまうからです。うまく書けるかな。
さあ何を書こう、何を伝えよう。そう構えることは時に大切です。

文章を書くことに迷うときは、決まっていつも書くことそのものに対して考えを巡らせることになります。
ちょうど今、僕は法律関係の道を目指している関係、日々文章を「より適切で」「迅速に」書くトレーニングをしています。
問題の解決をはかるには、互いの言い分を十分に汲み取って整理し、過不足無く表現・主張することが大切です。そこで文章力や表現力が求められるわけですね。
しかし実際に自分で文章を書いてみると、うまく書くことの難しさを痛感します。
「分かっているけど書けない」「思っているけど書けない」ことのもどかしさはなかなか好きになれたものじゃありません。
眠らないといけないのに眠れない夜みたいに、奇妙な焦りと苛立ちの中何度も寝返りだけうつことになります。

思ってみれば、社会ではいつもうまく書く・伝えることが求められています。
会社ではメール、メール、プレゼン、メール、報告書。ちょっと本屋に向かえばぐるりと新刊に取り囲まれるし、ネットではリアルタイムで文字が飛び交う。コピペ、人気ブロガー、リツイート数。テレビをつければ芸人さんがすべらない話。
そんな風になんだってうまく表現することに取り囲まれているし、それはプロだけの仕事じゃなくて日常僕らが生活する場でもどんどん求められるようになってきているようです。
なるほど、今の世で人の注目を集めるためには、ある意味饒舌になる必要があるのかも知れません。

あー自分にもうまい表現ができれば!
どこか外国の社長みたいにプレゼンのネット中継で世界中の人をわくわくさせることもできるかも知れないし、鋭い観察眼を持った小学生の子役みたいにみんなをハッとさせることもできるかも…。
もしかしたらみんなそんな思いを抱いたりするのかも知れません。

うまく伝えるためには饒舌にならなくては…僕はそう観念してもいたのですが、最近ちょっと気になることがありました。
つい先日のオリンピックでメダルをとった(あるいはとれなかった)選手がインタビューに応じるとき、必ずしも流暢な言葉はそこに出てきませんでした。たどたどしいその様子を僕は大丈夫なのかなとハラハラして見ていました。
しかし、インタビュアーの質問にずいぶんと時間が過ぎてから一言だけぼそっと言うその仕草や表情、そこに果てしない努力の時間が驚くほどはっきり見えたような気がしたのです。選手の人の発した言葉の情報量はごくわずかです。それに、練習の過酷さやそれまでの思いを伝えた発言ですらなかったわけです。
それなのに伝わるって、何だろう。

「筆舌に尽くし難い」「名状し難い」「言いようのない」「えも言われぬ」…日本語には言葉にできないという意味の言葉がたくさんあります。
そもそも、体験や感情は語りや文章で表現し尽くせるようなものじゃありません。言葉は言うなればそれを掬うための匙のようなものです。ときに、饒舌以上に寡黙は複雑な思いや体験を伝えてくれます。そんな点で僕らは言葉を過信してはいけないのかも知れません。

うまく言えないなあと思うとき、そのうまく言えなさ加減がもしかしたら僕らの思っているよりも誰かに何かを伝えているかも知れないし、リアルを与えてくれるのかも知れません。
試しに、これを読んだらあなたの大切な人にうまく言えない気持ちを伝えてみるといいです。あなたが言いよどんだり、視線をそらしたりするたびに相手はきっと何かを感じ取るかもしれないですよ。
うまく言えないことにもまた、大事さがあるのです。

…と、こういうことなので、もしこの記事がよく意味の分からないものになっていたとしても、そこは僕のうまく言えなさを感じ取って、皆さんがうんうんと許してくれることを期待します。ははは。
ではでは、またお会いできるのを楽しみにしています。

言葉に尽くせない感謝や思いを込めて

中畑良丞

夏と稽古と私

うっふん!
ぴたぱん通信をご覧のみなさま、こんにちは。
古株団員お色気担当(自称)佐藤令奈です。

お盆ですね。
みなさんはお休みでしょうか?
もうどちらかに行かれたのかしら??
わたくしはサービス業ですので毎日毎日仕事に精を出し、休日も仕事と稽古とお休みがないひたすらな夏でございます。
毎日働ける、好きなことをやれる、ありがたきしあわせでございます。。

なので、劇団員のブログらしく、最近の稽古で思ったことを。

次回の公演は10月の27、28日(土日)を予定しております。
そこに向けてキャストはただいま9人体制で汗だくになりながら身体を動かしております。

大人になると、一日の長さがびっくりするほど短くて、1週間、7日を、1日を、24時間、1分1秒自分の成長を確かめるように意識して動かなければ1、2ヵ月あっという間に過ぎて何も進まなくて。

子供の頃のように毎日が新鮮で毎日1つは何かが出来るようになっている自分じゃないんですよね。
日々の好奇心も薄れて。。

なんて、暗い暗い(笑)

楽しみながら、目の前に山があるってどんなに素敵なことだろうと思います!
稽古に励んでいる団員を見ていると、皆苦しみもがきながら笑って笑って山を登ってるんです。
オリンピックさながら、仲間と想いを共有して山のてっぺんに向かって。
実は山の下りの方が重要だったりして。

課題や乗り越えるべきものを山と表現しましたが、先日富士山に初登頂しましたので、達成感含めて実感を込めてみました(笑)

10月にはひとやまもふたやまも乗り越えたキャストの姿をお見せできればと思います!
残りの夏も皆さん楽しんで行きましょうね!

佐藤令奈

  • 最近の投稿

  • 最近のコメント

  • アーカイブ