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Diary

免れ、やること

脚本•演出の齋藤です。
連日不安定な情勢が続きますが、皆様ご無事でありますように。
また被災地の一日も早い安定と復興を祈ります。

(以下自分の私見になりますが)
知人や同僚、親戚にも被災地の人間がおり、彼らの苦難と
連日報道されてくる悲惨な姿を見ていると、つくづく自然の前の人間の無力さ、
有事の際の自身の無力さを痛感します。

でも同時にその中で見られた力強さがあるのも確かです。
被災者の方だけでなく、手を差し伸べる外の方々、
「それでも人は生きて行くのだ。それしかないのだ」と思わせてくれる力がにじんできます。

自分に出来ることはないか考えてみても、被災地への寄付、募金、節電、、、一つ一つは本当に小さい。
でもやるべきことは「災害を思いながら日常を続ける」ことだろうと。
僕は僕に出来る範囲で出来ることをし、仕事をし、食い寝て遊び、金を使い金を回し、全体の一人として生活を続けること。
可哀相だと閉じこもっていても何もならない。
誰も助けられないどころか何も生まれない。
僕が被災地を悼んでお家でじっとしていたからといって、それを被災した方々はどう思うだろうか。何になるだろうか。
「自粛なんて休むことでしかない」と誰かが言っていましたが、確かに一理あると思います。
(段階があるとは思いますが。確かにまだ野球で元気を与えるという段階では‥とも思うけど)
福島出身の同僚が「家族は心配だが、俺が暗くなったからって救えやしない」と、いつものようにふざけていた姿が忘れられません。

東北は傷ついている。日本の、世界の一部が痛んでいる。
ならそれを免れた部分はより元気でいなければならない、より動かなければならない、のではないかなと。
自粛すべきものを自分の頭で判断し、そこにある日常をきちんと送るべきだろうと。
「不謹慎」の一言でみんなが暗い顔をしていてもしょうがない。
塞ぎ込んで嵐が過ぎるのを待つのは楽だが、それでは全体の部分として責任を果たせないのではないかと。

僕個人の日常など、誠ちっぽけなものですが、それでも確かに全体の部分なのだと思いました。
その中で、「直接的に現地のために出来ること」「自分が生活を守ることで結果全体の活気を守ること」
自分に出来るのはその二点だと。

そして時が経てば必ず、今度は心を潤さなければならない段階が来るはずです。
スポーツ、芸術、音楽、舞台。。。
人はパンのみに生きるわけじゃないと思える段階が必ず来るはずです。
舞台人である自分には、結局舞台を作る以外にありません。
小さな小さな舞台ですが、わずかでも誰かに力を与えられないものだろうかと心に置きながら、
自分の日常を送ろうと思います。

一人でも多く助かりますように。
少しでも被害が小さくなりますように。
一日でも早く、元気が戻りますように。

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